ラマナアシュラムへの扉 2016年07月

アシュラム生活◇6話 若い頃(6

アシュラムでの生活著書の紹介


詩を書き始めた頃、私は高名な詩人のV.シバラーマ・シャストリに助言を求めました。


彼は私が執筆を始めたことをとても喜んでこう言いました。「詩を書くことは、献身的な生活を送る上で大きな助けとなるでしょう。書くときは、信仰深くありなさい、その感覚で書いた10の詩の内、1つでもよい作品ができれば、上出来でしょう。ただし、出版を急いではなりません」
私はその助言を深く受け止め、当時は書いた作品を公表しませんでした。
 


私はヴェーダーンタ(教典)に関する本を何冊も読みましたが、指導者(グル)の恩寵がなかったので心の安らぎを得ることはできませんでした。
その後、神への瞑想(ウパーサナ)の道を採用して多くの時間を祈りに費やしました。


心が調和した時には、「クリシュナの歌(バラクリシュナ・ギータヴァリ)」というタイトルで詩を書きました。


昼間は家事仕事、夜は神を想うことで日々過ごしていました。こうして、詩を書くこと、霊的修練、そして以前見た覚者の姿のことさえ、兄たちには内緒にしていました。


アムリタのクリシュナ


兄は、私が希望すればどんな本でも愛情をもって与えてくれました。手にした本は全て読みました。にもかかわらず、どんなに本を読もうと、自分なりに修練(サーダナ)をしようと、心の安らぎを得ることはできませんでした。
 


経典(シタラマンアネヤム)に書かれている講和を読み、その教えを実践しようとしましたが、無駄でした。
何の恩恵も感じることができません。時には、蓮華坐(パドマアーサナ)で座り、心をコントロールしようとしました。それも効果なしです。


S.U.ラクシュミバヤマに招待されて、彼女のアシュラムに滞在したことがあります。兄が、そのアシュラムは霊的修練には向いていないと言って、滞在を勧めなかったにもかかわらず、人類への奉仕は神への奉仕であると信じ、私は多くの病人に奉仕しました。
それでも、心から安らぐことはありませんでした。精神的に満たされず、言いようのない苦しみがいつも私を悩ませていました。
時が経つにつれ、その不満はますます強くなり、私は何とかして家庭を離れようと思いました。


そしてどこかの聖地に住ませてくれるよう兄にお願いしてみましたが、「一人でどこにいけるのか?」と言って、とりあってはもらえませんでした。


兄のD・S・シャストリが南部にいた頃、一緒にカニャクマリなどの聖地を訪れたことがあります。私は家から離れて、そんな聖地に住みたいと思っていたのです。

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アシュラム生活◇5話 若い頃(5

「アシュラムでの生活」著書について紹介

※T.ヴェンガマンバの晩年も理想的でした。彼女は私と同じように、幼い頃から未亡人だったと言われています。彼女はジュニャーニ(智慧のヨガを実践する人)の中でも最高の位置にいました。彼女の知恵の深さに励まされました。

※ヴェンガマンバ:1730~1817年。

アーンドラ州の女性バクティ詩人



世俗の願望を取り除くためには、相応しい指導者(グル)が必要なことを知っていたので、熱心に探し回りました。探し続けていると、幸運なことに有名な詩人のS.G.I.デヴィに出会いました。私は彼女から詩の書き方とこの世の正しい見方を学ぶことができたのです。

やがて、私は108つの詩からなる、マナサ・サタカムというタイトルの本を書きました。



1923年、私が面倒を見ていた病弱の長男が亡くなりました。これで、私は家族への責任という束縛から解放されたと思いました。長く過ごしてきた家庭の雰囲気の中に、それ以上いつづけたいとは思いませんでした。

偉大な魂が示す解放への道を知りたい、という願いはますます激しくなるばかりでした。精神世界の中で有名な人たちのことは聞いてはいましたが、夢で見た覚者(シダプルシャ)のような特質を持つ人がいなかったので、師として受け入れようと思える人はいませんでした。

地元のカーナカ・ドゥルガ寺院へ行っては、本当の師に出会えるよう願いを叶えてくださいと、女神に祈ったものでした。108つの詩、マナサ・サタカムをその女神に捧げました。本の中には、師を探し求めて書いた詩がたくさんあります。



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アシュラム生活◇4話 若い頃(4

大巡礼地、マンガラギリに遠い親戚のK.バランバという年配の女性がいました。彼女はそこで巡礼者に無料で食事を配給する宿を運営していました。
マンガラギリへ巡礼をしてそこで食事しない人はいないくらいだ、と言っても過言ではないでしょう。

用意した食事の量より訪問者の方が多い日が時々ありました。

十分に行き渡らないだろうと心配した調理人が給仕をためらうと、彼女は調理場に立って、神に祈るのです。

「父、ナラシンハよ!お力を!巡礼者へ十分行き渡るようお世話ください。」

ナラシンハ神

そう言うとココナッツの実を割りお香をたきながら、料理の周りをお参りの方法で三度回りました。

それから配り始めると、不思議なことに食事が不足することがなかったのです。バランバは、寄付金を集めて回るのに、毎年兄の家を訪ねてきました。

そんな時には、深い愛情をもって聖典バガヴァータムの話しをしてくれました。彼女も私と同じように、未亡人となっても髪を剃ることはなかったので、その生き方に大きく慰められたものでした。

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アシュラム生活◇3話 若い頃(3

一九一八年、兄のS.シャストリがヴィジャヤワダで弁護士の実習を始めたので、村の住居を引きはらい、私は兄と共にヴィジャヤワダへ移りました。

新しい場所では、クリシュナ川で沐浴をし、寺院へ行き、特別な日には断食をするといった、修行的な生活を始めました。

古い仕来たりにこだわる年配の人たちは、私の修行生活に批判的でした。夫に先立たれて、剃髪をしない人がすることではない、と言うのです。

私はそんな小言から解放されたいと強く願いました。



慣習に従うよう親戚から繰り返し要求された兄は、仕方なく剃髪のため、私を連れて※ティルパティへ向かいました。

ティルパティ寺院

ところが、マドラスまで着くと、近い身内に大きな不幸があったという知らせがあり、私たちはティルパティへは行かず、家へ戻ることになりました。

それは神のご意志なのだと思いました。兄たちは、未亡人の髪を剃る習慣にはいつも反対でした。思いがけない障害に阻まれ、親戚たちはとうとう諦めました。



古い仕来たりに囚われた親戚からの批判は絶えませんでしたが、私は気にしないようにしていました。

※ティルパティ(訳注:チェンナイから北西へ約180Kmの所にあるインドでは有名な聖地。ティルパティ寺院の境内には、剃髪する場所があり、髪を寺院に奉納する)



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アシュラム生活◇2話 若い頃(2

このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書

 「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。

Ramanasramam発行 翻訳amrita

小学校さえ無い小さな村に生まれたので、読み書きは年長者から習うという教育方法しかありませんでした。

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やがて、私は母国語のテルグで宗教書を読むようになりました。中でも、よく読んだのは※ポタナの書いたバガヴァータムでした。
※ポタナPotana: (1450-1510) ヴィヤーサがサンスクリット語で書いた聖典、バガヴァータムをテルグ語に翻訳した

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ある日、私はその部分を繰り返し読み、切実に祈りました。「慈悲をもって誠実に教え導く霊的指導者(グル)に出会わせて下さい」と。
そのうちに泣き疲れて眠ってしまうと、夢の中で、賢者にダルシャンしました。

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その賢者は、高さ1メートルほどの台座に※ダクシナムルティの様に南を向いてモウナの印を結び、蓮華坐(パドマアーサナ)で座っていました。そして周囲に神聖なオーラを放っていたのです。
挨拶しようと立ち上がりかけたところで目が開き、その姿は消えました。部屋の中を見回しましたが、誰もいません。私はがっくりと肩を落としました。

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※ダクシナムルティ:古代の霊的な教師、シヴァ神の化身)

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それは1913年のことでした。それ以来、私はその光景を心に焼き付け、生きている間に理想の賢者に奉仕することができるよう神に祈ったものでした。


片時もそれを忘れはしませんでしたが、誰に話すこともありませんでした。私は姉と一緒にその後4年程村で暮らしました。他者への奉仕は神への奉仕と信じ、家事手伝いをしながら、機会があるごとに宗教的な話を聞きました。

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アシュラム生活◇1話 若い頃(1

第一章.若い頃
私は1902年8月、(南インド)アンドラ・プラデーシュ州の小さな村で生まれました。父は私が4歳の時に亡くなり、母はその後を追って私が10歳の頃にこの世を去りました。一番上の兄は生まれつき病弱だったため、家族の面倒を見ることができませんでした。他に兄が二人いましたが、私の面倒を見てくれたのは、村で一緒に暮らしていた姉夫婦だけでした。

私は11歳になる前に結婚しました。神話で語られる女性たちのように、夫に献身的に尽くせば幸せになるだろうと思っていたのですが、夫は、結婚後わずか一年で天然痘にかかり突然この世を去りました。
そうして、私は一生涯未亡人となったのです。悲しみに打ちひしがれ、自分の不幸を嘆くばかりでした。誰が会いに来ても、ひどく泣いていました。こうして数ヶ月が過ぎていったのです。
 
月日が経つにつれ、私はこの世の過ごし方を学ぶようになりました。宗教的な講和、賛歌といった霊的なことに心引きつけられ、寝ても覚めても夢中になりました。苦しい日々の中で、どれほど私を助けてくれたことでしょう。家族は熱心な信仰を見て喜んでいました。
父、母、夫という家族の絆を若くして失った私には、祈りと瞑想を通じて神へ救いを求める他はないと思ったのです。迷いの世界(サムサーラ)に足を踏み入れる前に、未亡人であることを余儀なくされたので、私は不運な状況を精一杯好くするべきだと思いまました。
(訳注:当時インドでは未亡人の待遇は良くなく、剃髪して質素な衣服しか身につけることを許されなかった)
 

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アシュラムでの生活◇序文

シュリマティ・スリ・ナガンマは、ラマナアシュラムからの手紙

の著者として、帰依者たちの間でよく知られています。テルグ語で書かれた原作は、アシュラムから出版され、後に英語版で出版されました。

今回は、帰依者の要望に応えてアシュラムでの生活について書きました。



この本、「シュリ・ラマナアシュラムでの生活」の内容から、ナガンマの若い頃は試練と深い悲しみの連続だったことがわかるでしょう。

彼女は4歳で父を、10歳で母を、12歳で夫を亡くしました。不運な境遇の中、彼女は悲しみの海にひたり、故郷にある両親が残した家の小さな一室に閉じこもり、外出することはまれでした。

数年の間は太陽を見ずに過ごしたほどでした。そんな頃、自室に置いてあったマハーバーラタやバガヴァータム、バガヴァット・ギーターなど古代の聖典を手に取り、繰り返し読んだのです。そうして彼女の心は神に親しむようになりました。

数年を経て、孤独な生活から抜けだしたナガンマは、兄妹に奉仕することを通じで神に奉仕しようとしました。しばらくして、その方法から心の安らぎを得ることはないとわかり、本当の師(サッド・グル)を求めて国じゅうを巡礼しました。そうして、ついにシュリ・ラマナアシュラムにたどり着いたのです。


彼女はたった一人でアシュラムへやってきました。

忍耐ある根気強い努力が実り、バガヴァーンの恩寵を得、やがてアシュラムの重要な住人となったのです。

バガヴァーンは正しい修練方法を示すことで彼女の努力を促し、ゆっくりと真我探求の道へ導かれました。この本の中では、アシュラムでの生活が詳しく書き記されているので、興味深く読むことができるでしょう。



アシュラムでの生活は、決して順風満帆ではなく、苦難や数え切れない障害、そして予期せぬ困難かに悩まされます。ナガンマもまた、そういった経験をしました。そんな苦難を乗り越えるために、バガヴァーンがどのように助言し、指導されたのかが、この本の中に詳しく描き出されています。

この本では、アシュラムにいる修行者の生活が非常に詳しく描かれています。注意深く目を通し、そこに示されている方法で修練(サーダナ)をすれば、素晴らしい恩恵を受けることを、大いに期待できるでしょう。

アクハンダム・シータラーマ・シャストリ
1974年1月1日 マドラスにて

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対話集と手紙集

ラマナ・マハルシの対話やエピソードを記録した主要なアシュラム発行本が二つあります。


TALKS with Sri Ramana Maharshi
ラマナ・マハルシとの対話

Letters from Sri Ramanasramam
ラマナアシュラムからの手紙

⚫️TALKS対話集は、福間さんの翻訳で既に日本語訳が出版されています。

⚫️Letters手紙は、amritaが日本語に訳し、日本ラマナ協会会報誌に連載してきました。

この本の大きな特徴は、アシュラム定住者の女性が記録したということです。

言葉のやり取りだけではなく、その場の雰囲気が伝わる細やかな描写とラマナマハリシのバクティ溢れる様子が表現されていることです。

このサイトでは、日本ではあまり知られていない、ラマナのバクティの側面をお伝えしていきます。


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アルナーチャラシヴァ誕生エピソード

ラマナアシュラムで唄われる代表的な
  アルナーチャラシヴァ  ←動画リンク



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沈黙の聖者」から



ラマナの従者は、食べ物を乞うために毎日決まって町へ出かけたものだった。
彼らは洞窟を離れるとき、ホラ貝の音を長く響かせた。
これはバガヴァンの一行が托鉢のために洞窟を出たことを、町の人々に知らせるためのものだった。
一行は丘の麓に着くと、また別の音を響かせた。
三回目の合図は通りの入り口で吹き鳴らされた。
当時は、シャンカラの詩を歌っていたが、
バガヴァンの従者たちは独自の托鉢のための歌を希望し「文字の結婚花輪」が特別に作られた。
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バガヴァンはユーモラスに言った。
「この歌は何年間も私達に施しを与えてくれた」
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アシュラム入り口

ラマナアシュラム入り口です。
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amrita

Author:amrita
南インド聖山アルナーチャラ。麓には賢者ラマナ・マハリシのアシュラムがあります。

全ての生き物が区別されず、自由に賢者と会うことができました。アシュラムに定住する人もいれば、時折訪れるだけの人、手紙を書く人もいました。
聖者の広間に座り、賢者と来訪者の会話を聞くことができました。座っているだけで心安らぎ、満たされることもあります。

このサイトは、アシュラムへ通じ、広間の光景が再現されています。

サイト管理者は、ラマナアシュラム発行の本を20年弱翻訳してきました。
その翻訳を通じてラマナ・マハリシと交流を続けています。

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