ラマナアシュラムへの扉 2016年07月

アシュラム生活◇15話 ラマナの恩寵(1

このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。

Ramanasramam発行 翻訳amrita

私が乗る予定の列車は、朝9時半にティルヴァンナーマライを出発します。

その頃にはバガヴァーンは朝食を終え、丘の散歩から戻ってホールで静かに座られていました。

彼の前にひれ伏した後、立ち去る許可を求めて待っていると、彼はゆるぎなく私を見つめられました。その眼差しはどんなに清々しいでしょう!

頭から足の先まで、全身が洗われ、穏やかになりました。

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12年もの間グルに憧れつづけ、やっと本当の師(サッドグル)を見つけたというのに、ここを離れるなんて!そんな想いを胸に、立ち尽くしていました。

・アシュラム中庭と背景に見えるアルナーチャラ

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出発の時間になり、外にいた御者が私に呼びかけたのですが、バガヴァーンに話すことさえ出来ず、ただ会釈しただけでした。

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胸中を察して、バガヴァーンもまた承認の印にうなづかれました。

溢れんばかりの涙を目にためながら、私はその場を後にしました。

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ホールから出ると、従姉妹のスッバムマとヴァラナシがいて、すぐに戻ってくるのだから心配はないと言って、私を励ましてくれました。

私は荷車に乗りました。

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アシュラム生活◇14話 サラナガティ(3

このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。

Ramanasramam発行 翻訳amrita


※サラナガティ:グルに全てを委ねる。
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アシュラム滞在3週間が過ぎました。
その間に、私は帰依者たちがバガヴァーンに自由に質問し、疑問を解消し、安らぎに満たされて過ごしている姿を見ました。
そして、彼こそが私を正しく導き、助けてくださる指導者だと思いました。私は直感で天国をみつけたと感じ、アシュラムに永住しようと決心しました。
バガヴァッドギータ

バガヴァッド・ギーター、第9章22番に書かれています:

他の誰を知らなくとも
絶えず私を想い
ひたすら礼拝する帰依者
想いを私に合一する帰依者に
私は完全な安らぎをもたらし
彼らの必要に応える

それは、不動の忍耐で彼に仕えたときにのみ、私たちが必要とするすべてに彼が答えて下さり、完全な安らぎがもたらされる、ということなのです。
同じように、私はまずアシュラムで指導者(グル)のそばに留まって、専心的に仕えるべきだと思いました。
その頃、義理の姉が出産を控えていたことや、持参した食材の在庫が切れたこともあり、いったん家に帰って、永住のために必要な準備を整えてから戻ってくることにしました。

バガヴァーンの許可なく立ち去りたいとは思いませんでした。

私はメモに願いを書いてバガヴァーンに渡しました。

速やかに戻って来れるよう祝福してください、と書きました。

バガヴァーンは承諾の印としてただうなづき、メモを折りたたんで棚に置かれました。

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アシュラム生活◇13話 サラナガティ(2

このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。

Ramanasramam発行 翻訳amrita


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※サラナガティ:グルに全てを委ねる。
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四日後、私は「アシュラムと偉大な賢者(マハリシ)」というタイトルで三つの詩を書き、前回と同じようにバガヴァーンへ届けてもらいました。


ホールへ入るとバガヴァーンの前にひれ伏しました。私が立ちあがると、彼は微笑んで言われました
「どうやってタミル語を習ったのですか?」


私は一瞬とまどったのですが、しばらくしてから、心を落ち着かせて言いました。


「兄が、インド・セントラル銀行で働いています。その兄がタミル州の町にいた頃一緒に暮らしていたので、そこで言葉を覚えました。」
それがバガヴァーンと交わした最初の会話でした。



私のように気の弱い人間が、バガヴァーンのアシュラムを避難所にするのは無理だと思っていました。ところが、バガヴァーンご自身が私に話しかけられたのです。


どんなに嬉しかったでしょう。私はいつもの席まで行くと、その優しさに深く満たされてそこに座りました。


私の家族の絆は既に断たれています。


今、この新しい人生で、その慈悲深い眼差しと励ましの言葉が、私を本当の指導者(サッド・グル)の愛へと結びつけました。
まるで、肩から大きな荷が降りたように感じました。

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アシュラム生活◇12話 サラナガティ(1

このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書

「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。

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※サラナガティ:グルに全てを委ねる。

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教養がなくても紙に何かを書いてバガヴァンに手渡している帰依者も見かけました。それに励まされ、私は「完全な放棄(サラナガティ)」について八つの詩を書きました。


直接バガヴァーンに手渡すのは気がひけたので、お出かけの間、付添人に預けました。


バガヴァーンがホールに戻ってこられると、
師はそれをゆったりと読んで、こう言われました。

「ご覧、彼女の名前はナガンマだそうだ。「完全な放棄(サラナガディ)」について詩を書いている。ノートに保存しておきなさい。」


付添人のスワミはバガヴァーンから紙片を受けとり言いました。
「ラーマスワミ・アイヤールも『完全な放棄』に関する詩を書いていましたね?」


「そうだ、彼はそれを歌にして書いたが、この女性は詩で書いている」とバガヴァーンは言われ、私はとても幸せでした。


ここには高名な学者がいるので、学に乏しい知識の私は、相手にされないだろうと思っていたのですが、これで少し勇気づけられました。


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アシュラム生活◇11話 マハリシにダルシャン(2

このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。

Ramanasramam発行 amrita翻訳

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その後3日間、夜は女性たちと町へ出かけ、それ以外の時間はすべてアシュラムで過ごしました。
そうして町へ行き来する間に、アルナーチャラ寺院をじっくり観察することもできました。

アルナーチャラ寺院


後日、私は自炊するために町で部屋を借りました。アシュラムでは、自分用の食材で料理することが出来ないからです。


アシュラムで※ビクシャを手配するよう勧められました。

当時その費用はわずか5ルピーでした。
ビクシャを終えてから部屋を移り、それ以降は朝夕をアシュラムで過ごし、食事の時間には家へ戻るという日々を過ごしました。


※ビクシャ:出家行者や聖者に施しの食事を配ること

サドゥたちへの食事配布

ラマナアシュラム

 
こうして10日が過ぎ、その間バガヴァーンが私に話しかけられることは全くなかったのですが、私は彼に深く感動しました。


以前、夢の中に現れた覚者(マハープルシャ)に通じるものがありました。また、ヴァシシュタムなどの聖典で描かれている解脱者(ジーヴァンムクタ)の性質も感じたのです。


彼は、まるで太陽に照らされてきらめく蓮の葉の水のようで、何ものにも囚われない様子でした。私は、日々そんなバガヴァーンのお姿を見て、彼こそが、私の無知を拭い去ることのできるお方だと確信しました。


そして彼の庇護のもとに、自分自身を投げ出すべきだと感じたのです。
それでも、私にはそれを言葉で上手く言い表せるほどの勇気がありませんでした。
 

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アシュラム生活◇10話 マハリシにダルシャン

このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書

 「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。

Ramanasramam発行 翻訳amrita

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私の乗った馬車はアシュラムの門を通り抜け、敷地の中で止まりました。馬車を降りると、G.サンバシヴァ・ラオが歩いて来ました。


私は兄の名前と、ヴィジャヤワダからやって来たことを話し、二、三週間の滞在希望を申し出ました。

ラオ氏が、アシュラム総管理人に私のことを伝えると、滞在は快諾され、スッバラクシュマムマに荷物を含めて私の世話を任せました。


彼女は優しく声をかけ、コーヒーを渡してくれると、7時なのでバガヴァーンは既に朝食を済ませて丘へ散歩に行かれたのだと言いました。


戻りを待つ間に、バガヴァーン・ホールの外にいた私の従姉妹、スブマのところまで連れて行ってくれました。
従姉妹に事情を話し終える頃、バガヴァーンは丘から下りて来きて、ホールのソファに座られました。





私は、バガヴァーンに捧げる果物や花かごを持ち合わせていませんでした。目の前は真っ白でした。


ずいぶん前に、私はマナサ・サタカムの中でこんな内容の詩を書きました。
「覚者は、近寄り来る人々に富を期待しない。だから、帰依と奉仕で心の花を捧げ、彼の祝福を受けよう。」


それにはまず、真我を実現した霊的な指導者(グル)を見つけだす必要があります。
そうして初めて、心の不純物が洗い清められ、心の花が咲き、そうした純粋な花だけをグルへ捧げることができる。


それが私の意図であり決意だったので、捧げ物を持参していないことは特に気にしていませんでした。それでも、私はかなり緊張し、手ぶらでホールへ入りました。


そしてバガヴァーンの前でお辞儀をしただけで、女性用の席に頭を下げて座りました。





ホールは静寂と平安に満ちていました。
10分ほどして頭を上げると、バガヴァーンがしっかり私を見ていることがわかりました。





その慈悲深い眼差しが、不安な心を鎮めて下さったのですが、その強さに耐えきれず、ふいにまた頭を下げてしまいました。


その日の午後、私はその想いを詩に書きました。

彼を見ると、私を見ていた。
その輝き(テジャ)が強すぎて、
恥ずかしさでうつむいた

午前9時45分、バガヴァーンが出かけられたので、私たちもホールを離れました。スブマの部屋は、私が泊まるには狭すぎたので、アシュラムに住む女性たちの所に滞在するよう勧められました。




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アシュラム生活◇9話 アシュラムへ

「アシュラムでの生活」著書紹介
古い知り合いの女性がティルパティにいたので、そこでお世話になりました。彼女の助けを借りて丘をあがり、ヴェンカテ神にダルシャンした後、いくつか他の聖地も訪れ、翌日に丘をおりました。
思いがけず、グルのダルシャンを受けるための準備ができました。
 南インドタミールナドゥ州
私が乗った列車は午後4時にカットパディ着の予定でしたが、それに乗るとティルヴァンナーマライに着くのが晩の8時半になります。
他にどうしようもなかったので、私はその便を待ってから乗りました。

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日が暮れると、女性はアシュラム内立ち入り禁止だと聞いていました。同じ車両にいた乗客に聞いてみましたが、確かに夜は立ち入り禁止とのことでした。
親戚の住所を知らず、ティルヴァンナーマライには知り合いが一人もいません。

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私は途方に暮れました。不安げな私を見て、同じ車両にいた二人の女性が声をかけてくれました。
「私たちはこれからティルヴァンナーマライにいる親戚の所へ行きます。あなたも一緒にそこで一晩過ごしてから次の日にアシュラムへ行くのはどうでしょう。」
私はその親切な申し出に感謝しました。

※ティルヴァンナマライは
アルナーチャラ山とアルナーチャラ神を祭る巡礼町です。
写真は、アルナーチャラ山を背景にアルナーチャラ寺院が鎮座しています。

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ティルヴァンナーマライに着いたのは夕方8時半でした。 
親切な女性は親戚の住所を私の御者に渡して立ち去りました。
御者は列車にいた女性が教えてくれた住所へ向かいました。私がそこへ着くと、さっきの女性たちがすぐに出てきて温かく迎え入れてくれました。

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そして家の主(あるじ)に私が困っていることを伝えました。私の荷物はその家の中に置かれました。女性たちは家の人と話すのに忙しくしていたので、私は井戸で足を洗い、水を飲むとそのまま玄関のベランダで立っていました。

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隣に住む女性が気配に気づいて出てきました。
その優しそうな女性は、テルグ語を話すというともあり、私は少し励まされました。しばらく話をしている内に親しくなり、ご主人がアシュラムで庶務作業をしていることを知りました。

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結局その日は女性と一緒にベランダで眠りました。
あくる朝、私は早く起きて水浴させてもらいました。私の荷物が馬車の中に置かれると、ご主人が出てきました。そして、スッバラクシュマンマというテルグ人の女性がアシュラムにいるので、私の面倒を見てくれるだろうと言ってくれました。
published by Ramanasramam
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アシュラム生活◇8話 若い頃(8

「アシュラムでの生活」著書紹介
覚者(シッダプルシャ)を探し出し、霊的な道を歩む指導を得たいという願いは満たされないまま、焼けるような想いは日ごと強くなるばかりでした。

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願いが叶うようにと、どんなに神に祈ったものでしょう。当時兄のD.S.シャストリはインド・セントラル銀行に勤務していました。
1941年、その兄がアーメダバードへ転勤することになりました。次の勤務地へ行く前に、彼は1ヶ月の休暇をとって、夫婦で南部へ巡礼に出かけました。

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巡礼の途中、兄はティルヴァンナーマライに立ち寄り、バガヴァーン・シュリ・ラマナ・マハリシにダルシャンする幸運に恵まれたのです。
更に幸いなことに、ナガンマがアシュラムへ行けば大きな恩恵を受けるだろう、という思いが兄の心にうかびました。

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ちょうどD.スブマという親戚の女性がアシュラムに滞在していました。彼女は2、3ヶ月前に夫を亡くし、心の安らぎを得ようとアシュラムで過ごしていたところだったのです。

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兄は、彼女が助けてくれるだろうと思い、家に帰るとすぐにラマナアシュラムへ行くようにという手紙を送ってきました。
私が一人で行けるだろうかと心配していると、神が助けてくださるだろう、と言って私の恐怖をふり払ってくれました。

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ついに、ヴィジャヤワダにいる兄が、ティルヴァンナーマライ行きの切符を購入して、私を送り出してくれました。
 

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アシュラム生活◇7話 若い頃(7

「アシュラムでの生活」著書について紹介


ビジャヤワダにいた頃、アルナーチャラに偉大な賢者がいることを何度か耳にしましたが、すぐにそこへ向かおうという気になりませんでした。


その後、10年近くも、心に不満を抱いたまま時が過ぎたのです。
うつ状態は次第に深刻さをまし、体調を崩して、ついに起き上がることができなくなりました。いくつもの薬を試しましたが、効果はありませんでした。


親しい知人であり、主治医である人たちが定期的に診察し、経過を注意深く観察した結果、判断を下しました。
私の病気の原因は精神面からきているので、身体を治療しても効果はなく、精神状態を改善する必要がある、ということでした。


それに、私自身が回復する努力をすべきで、他の誰も手助けはできないのだと付け加えました。


それを神からの言葉として受け留め、何とかして家を出て独りで生きようと決意したのです。


聖山アルナーチャラ


それは1940年初めのことでした。その年の5月、私は自然療法を始めました。湯船に浸かること、そして食事を変え、塩、香辛料、冷たいものを避け、アズキモロコシの粉と野菜で調理したものを食べました。
そんな生活を口実にして、私は兄の了解を得て故郷の村へ移り住みました。
 


クリシュナ川とインドの川


日々の生活は大自然が基本でした。自然療法と言われる入浴、運河クリシュナ川での沐浴、サットヴィック(清浄)な食事、村の寺院で行うプージャ(祈祷)、そして午後には、私の家に集う人たちに聖典バガヴァータムを読み、解説をしました。

こうして村で暮らしていると、ある日インドゥマティから夫婦で巡礼に行くという知らせがありました。


そして、私も同行してはどうかと勧めてくれました。誘いに応じて、巡礼を共にしたものの、少しも心安らぐことはありませんでした。

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ラマナアシュラム公式サイト

ラマナアシュラム公式サイトは日本語ページもあります。

現地に定住されている日本人福間さんが翻訳されています。

有り難いですね。

http://www.sriramanamaharshi.org/ja/

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amrita

Author:amrita
南インド聖山アルナーチャラ。麓には賢者ラマナ・マハリシのアシュラムがあります。

全ての生き物が区別されず、自由に賢者と会うことができました。アシュラムに定住する人もいれば、時折訪れるだけの人、手紙を書く人もいました。
聖者の広間に座り、賢者と来訪者の会話を聞くことができました。座っているだけで心安らぎ、満たされることもあります。

このサイトは、アシュラムへ通じ、広間の光景が再現されています。

サイト管理者は、ラマナアシュラム発行の本を20年弱翻訳してきました。
その翻訳を通じてラマナ・マハリシと交流を続けています。

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