ラマナアシュラムへの扉 2016年08月

アシュラム生活◇36話 興味深い発展(3

このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。

Ramanasramam発行 翻訳amrita

映画社の経営者とアシュラムの住人たちは相談の上、15日間続けて公開するフィルムを持参しました。

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付添人の一人が、それはバガヴァーンの承諾済みだと噂を広めました。

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アシュラムの神聖な雰囲気の中で、フィルムが上映されるだけでなく、間違った噂に心が痛みました。

彼らが繰り返し許可を求めたとき、バガヴァーンはただうなづかれたに違いないと思いました。アシュラムの管理人にも同じように説得したのでしょう。

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私はどうしたらこのでまかせが明らかになるのだろうと思いを巡らせました。同じように気にかけている人たちとも話し合い、バガヴァーンに相談しようということで、良い機会を待つことにしました。

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フィルムが二日間上映されると、フィルム鑑賞を許可されなかった町の乱暴者たちがアシュラムの食堂に向かって石を投げつけ始めました。

こうなると、全ての上映は中止されました。

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公開についての議論はある日の午後、バガヴァーン・ホールの北側にある空き地で起こりました。

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その討論を全て聞いたラジャ・ゴーパラ・アイヤールがそれをバガヴァーンに報告していると、ムルガナールが間に入って言いました「リシ(賢者)のアシュラムで映画が公開されるとは、ばかげたことではありませんか?バガヴァーンの場合、何を見ようと影響されることはありませんが、修行者(サーダカ)はどうでしょう?これは中止されるべきです。」

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バガヴァーンは同意して言われました「そう、その通りだ。一番最初に私は映画上映を気にかけないよう、彼らに言ったのだ。『いいえ、私たちはバガヴァーンにフィルムを見せるべきなのです』と彼らが言ったので、私は2、3度見た。

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彼らはその後、15本を持参すると言った。

それ以上、関わらないようよう言ったのだが、彼らは皆が見たがっているのだからと言って事を進めた。

ならば、彼らの好きなようにしなさいと言った。私の警告に耳をかさないのだ。ご覧、何と大きな問題を引き起こしたことか。」

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アシュラム生活◇35話 興味深い発展(2

このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。

Ramanasramam発行 翻訳amrita


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私はゴールデン・ジュビリー祭については、静かに三通の手紙の形に書いただけでした。
付添人の一人、ラジャ・ゴーパラ・アイヤールが、なぜ私がフィルム公開のことを書かないのかと尋ねました。
改めて夕方に私の家にやって来て、フィルムについて書くといいだろうとバガヴァーンが言われたのだと、話しました。
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マハリシのアシュラムでフィルムを見せることが相応しいのか、確信できなかったので、書く気にはなれませんでした。
それでも、バガヴァーンご自身からの命令だったので、私はどうしていいかわからず、困惑していたのでバガヴァーンに尋ねたかったのです。
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私はいつもより朝早くアシュラムへ行って、バガヴァーンの前に立ちました。
「ジュビリー祭に関連してフィルム公開のことを手紙に書く必要があるなら、私はそれを正当化して書かなければいけませんが、できません。どうすればいいでしょうか?」
バガヴァーンは言われました「だったら、それは省きなさい」
「省きたいのではなく、どうやって正当化すればいいのかを正確に知りたいのです」と私は言いました。「私がどうして知っているのか?書くのが適切かどうか自分で判断すれば良い」とバガヴァーンは応えられました。
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「その件が手紙に付け加えられたらいいだろう、とバガヴァーンがおっしゃられたのではありませんか。」つい、そう言ってしまいました。
「それはおかしい!」とラマナは答えられました。
「付け加えられたらいいだろうと言ったのは彼らであって、私はただ『そう思うなら、あなた達が彼女に言えばいい』と言った。それだけのことだ。私は手紙に書く必要があるとは決して言っていない」と彼は締めくくられました。
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私はとてもホッとしました。それで決着がつきました。実際、それはバガヴァーンの指示ではなかったのです。
後日、手紙はフィルム公開のことには触れないまま、雑誌ナヴォダヤへ送られました。バガヴァーンと私の間で、その件についてどんなやりとりがあったのか、誰も知りませんでした。
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アシュラム生活◇34話 興味深い発展(1

このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。

Ramanasramam発行 翻訳amrita

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※ゴールデン・ジュビリー祭(バガヴァーンがアルナーチャラ到着50周年記念のお祭り)

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1946年9月の※ゴールデン・ジュビリー祭の間、マドラスのウェリントン映画社の経営者であり、バガヴァーンの良き帰依者である。フラムジ氏がアシュラムで公開するために3本のフィルムを持参しました。


それは、3日間夕食後に食堂で上映する準備をしていたので、アシュラムの人たちはみな心躍らせていました。
私も声をかけられましたが、映画は観ないと決めていたので、断りました。

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「バガヴァーンご自身が映画を見られているというのに、何が問題なのですか?」と他の帰依者が聞きました。
「バガヴァーンの位置は違います。」と私は強調して答えました。
「彼は全てをブラフマンに満ちたものとして見る偉大な賢者です。彼の眼差しは、ガンジス川の偉大な洪水のようです。その偉大な洪水の中に、例え何が落ちようと、洗い流されてしまうのです。彼は目覚めた魂(シッダ・プルシャ)なので、彼を縛る規則や法則はありません。それは、私のような修行者(サーダカ)には当てはまらないのです。だから、私はそのフィルムは見ることができません」

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私のように映画の鑑賞を避けた修行者もいましたが、多くの人たちは、フィルムを楽しみました。

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amritaとラマナアシュラムと柳田先生

1996年12月、私が初めてラマナアシュラムへ行った時は、ラマナ到来100周年と誕生日を祝う祭、ジャヤンティが開催されている時でした。

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インドはもちろん、世界中から人が訪れて、普段は静かなアシュラムが賑わっていました。

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20年前、ラマナ・マハルシはインドと西洋精神世界には良く知られていた存在でしたが、日本では一部の範囲だけで知られているだけでした。

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当時アシュラムに定住していた柳田ただし先生は日本に師を正しく伝えるべく、精力的に活動され、京都とアルナーチャラを行き来されていました。

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1996年、私は柳田先生とアシュラムで出会いました。先生からラマナアシュラムの本の翻訳を勧められ、日本ラマナ協会の会報誌に連載することになりました。

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当時の私は知らなかったのですが、柳田先生は翻訳をする後継者を探されていたそうです。

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photo:ラマナ誕生祭の祭壇

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アシュラム生活◇33話 手紙出版の計画

このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。

Ramanasramam発行 翻訳amrita

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二通目の手紙を受け取った兄は、それを神からの指示として受けとめ、手紙出版の費用は全て彼が負担するという手紙を即座にアシュラムへ書きました。

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アシュラム当局が承諾を与えると、兄は1947年のバガヴァンの誕生祭(ジャヤンティ)までに本の出版の準備をしました。

※2013年誕生祭の招待状。

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その中には私へ語られたいくつかの教え(ウパデーシャ)があり、特にプラダクシナの本質についての解説が含まれています。

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避けられない事情があって、出版社は誕生際(ジャヤンティ)までに本の出版準備を間に合わせることができませんでした。

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その間にバガヴァンの前で興味深い出来事がいくつかありました。

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アシュラム生活◇32話 シャストリからの手紙(2

このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書
「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。
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私はこの手紙を読んだ後、震える手でそれをバガヴァンに渡しました。彼は目を通すと、微笑みなを放ちながら、読みあげられました。
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私はその手紙を複写して、マドラスにいる兄へ送りました。しばらくして、私がシヴァラーマ・シャストリに返事を書くと、彼はまた私宛に手紙を書きました。二通目の手紙はこの通りです。
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 スリ・ナーガンマへ
あなたにこの手紙を書くように励ましたあなたのお兄さんを称賛せずにはおれません。
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この手紙の価値は計り知れないのです。これはあなたたち二人へのメッセージです。手紙は大事な事を忘れやすい人たちへ、頻繁に思い出させてくれるものとなります。
アムリタの祭壇.

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この手紙の出版についてはあなたのお兄さんに託されています。私の手紙は、バガヴァンのハート奥深くへ真っ直ぐに届いたと書いていましたね。
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私の目の中にある重荷は取り除かれました。そう、取り除かれたのです。あなたが、彼の蓮の御足のそば近くにいることは私たちにとって大変幸運なことです。どうか私からのナマスカーラ(礼拝)を彼の御足に心の中で伝えてください。
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アシュラム生活◇31話 シャストリからの手紙(1

 このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書
「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。

Ramanasramam発行 翻訳amrita


 雑誌には、4通の手紙が掲載されました。V.シヴァラーマ・シャストリはそれを見るとすぐに手紙を書いてきました。
彼は近い親戚ではありましたが、一度も手紙を書いてきたことはなかったので、私は少し心配になりました。
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以前、急いで出版しないようにという助言をされていたからです。
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じっくり吟味することなくこの手紙が出版されたので、彼は私をしかるのではないかと思っていたのですが、封を開けると嬉しい驚きがありました。その手紙の内容はこうです。

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オーム、スリ・ナーガンマへ
私はあなたの書いたラマナアシュラムからの手紙を読んで、喜びに満たされています。私達は偉大な魂(マリープルシャ)からはるか遠く離れてはいますが、あなたの手紙には臨場感があり身近に感じさせてくれます。
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あなたは恵まれています。どうか、遠く離れて聴く人たちにも幸運を別けて下さい。
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私のような人達をアシュラムの中へさらに、マハリシのハート奥深くまでも連れて行ってくれるよう祈ります。
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オーム プルナマダ・プルナミダム、プルナ・プルナム・ウダチャテ  1946年10月6日
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アシュラム生活◇30話 手紙を書く(2

 このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書
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この手紙がどれほど人の役に立つのかわからなかったので、公けにはしたくなかったのですが、思いがけないことが起こりました。
私が手紙を5、6通書き終えたころ、スカンダ・アシュラムへの小旅行が催され、それを三通の手紙にして書きました。
スカンダアシュラムへの小旅行の様子
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ある日の夕暮れ時、ベランダに座ってその手紙を修正していると、D.ムダリアールがやって来ました。
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私が手紙を読み上げると、非常に喜んでスカンダ・アシュラム物語を聞いていました。そして後日、彼は手紙のことをこっそりバガヴァーンに話したのです。
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その翌日、私がバガヴァーンのところへいくと、師が「ナガンマがスカンダ・アシュラムへの小旅行について話を書いていると聞いたのだが」と言われたので誰から聞かれたのか尋ねると、「ムダリアールだ。それはどこにあるかね?」と言われました。
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それ以上、手紙のことを隠すことができなかったので、私は手紙を全部清書して、夕方にアシュラムへ持参しました。
バガヴァーンはその手紙の内容を聞きたいと言われました。
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一通目の手紙で、私はこう書きました。
「バガヴァーンが何を持っているでしょう?彼の持物といえば歩行用の杖、水差し、腰布、それだけなのです。」
これを聞いて、バガヴァーンは楽しそうに言われました。
「おやおや、このタオルはどうした?すっかり忘れてるよ!」ホール中の人が笑いました。
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その後、私がタオルもバガヴァーンの持物として書き加えたことは、言うまでもありません。誰もが、その手紙はすばらしいと評価したので、翌日、友人が多くの人にもわかるように、それを英訳して詳しく解説しました。
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アシュラム生活◇29話 手紙を書く(1

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「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。

Ramanasramam発行 翻訳amrita


兄は、バガヴァーンのことを記録するのは何人いても構わないと言って、私に日記帳を渡しました。.


私は日記を書こうとはしましたが、不慣れで上手くいかず、続けるのは難しいと言いました。
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すると、彼はこう言いました。「日記を書こうとしなくてもいい。いずれにしてもあなたは時々バガヴァーンの前で起こる事を手紙に書いてくれるのだから、私宛の手紙を書くつもりで書留めて、そのまま手元に置いていなさい。それをどうするかは、後で決めればいいのだから。必要に応じて対応しよう」
そして、ペンと紙の束を置いていきました。
 
記録を勧めたのは、兄だけではなくこう言う帰依者もいました。
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「今、アシュラムに定住しているアンドラ人はあなたしかいません。私たちは時々訪れるだけです。だから、記録作業をあなたの役目として始めてください。
バガヴァーンの声を吸収して、私たちに伝えてください」
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何度も要望があったので、私はそれに応えて一九四五年十一月に手紙を書き始めました。表立ってバガヴァーンに言い出す勇気はなく、心の中で彼に成功を祈ってから書き始めました。
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アシュラム生活◇28話 本の執筆(2

このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書

「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。

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兄はマドラスに移ってからというもの、休日のたびにアシュラムを訪れていました。

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兄が来れば、私はいつでもバガヴァンの前で起こる出来事や会話について話していたので、そんな出来事が本にまとめられたら素晴らしいだろうと兄は言っていたものでした。

私がアシュラムに来る前に、ムナガラ・ヴェンカタラミアが師の面前での出来事を日々英語で書きとめていたようです。

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ところが、様々な理由から続けることができなくなりました。その記録は手つかずのままアシュラムに保管されています。 

(後に「Talks」というタイトルで出版されました)

日本語訳では、「ラマナ・マハルシとの対話」で出版されています。

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他の人が最善を尽くした仕事を自分がするのは難しいことだと思いました。むしろ、男性が手がけたほうがいいのではないかと言いました。

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結局、※D.ムダリアールが、アシュラム当局の許可を得た上で、英語で日記を書くことになりました。

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Author:amrita
南インド聖山アルナーチャラ。麓には賢者ラマナ・マハリシのアシュラムがあります。

全ての生き物が区別されず、自由に賢者と会うことができました。アシュラムに定住する人もいれば、時折訪れるだけの人、手紙を書く人もいました。
聖者の広間に座り、賢者と来訪者の会話を聞くことができました。座っているだけで心安らぎ、満たされることもあります。

このサイトは、アシュラムへ通じ、広間の光景が再現されています。

サイト管理者は、ラマナアシュラム発行の本を20年弱翻訳してきました。
その翻訳を通じてラマナ・マハリシと交流を続けています。

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