ラマナアシュラムへの扉 2016年08月

アシュラム生活◇46話 献上(2

このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書

「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。
Ramanasramam発行 翻訳amrita
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私はホールに入り、手紙の束をバガヴァーンの足元に置きました。「ここに手紙があります。アシュラムヘ渡すよう要求されたので、まとめてここにお持ちしました。これはただの手紙ではありません。心をこめて書いた宝物なのです。バガヴァーンの好きなようにして下さって構いませんが、これだけはお聞きください。私は富や名声のために書いたことは一度もありません」そう言うと、あふれ出た涙が頬を流れ落ちてゆきました。

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バガヴァーンは哀れみ深く私を見ると、両手で手紙を受け取られました。そして手紙にさっと目を通してから、付添人に渡されました。
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「彼女は手紙をしっかり束ねて持ってきた。事務所へ持っていきなさい」
隣に座った姉は、私を慰めようとしてバガヴァーンに言いました。「ナガンマはこの手紙を書き始めて以来、寝るのも忘れて没頭しているのです」バガヴァーンは、ただうなずいて沈黙されたままでした。
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付添人は事務所から戻ってくると、原本について尋ねました。兄が前回ここに来た時、マドラスヘ持って帰ったのだと説明しました。バガヴァーンは観察者として留まり、一言も話されませんでした。
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アシュラム生活◇45話 献上(1

(1 第十七章.献上(アルパナ)

 いずれにしても、命令に従う他はないと思いました。
手紙を事務所へ渡してしまえば、バガヴァーンの目に触れることさえ無いかもしれないと心配になり、引き渡す前に彼に見ていただこうと思いました。
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明くる朝、私は手紙を束ねて義理の姉と一緒にホールヘ行きました。
完全な静寂に満たされたホールで、バガヴァーンは足を伸ばしてゆったり座られていました。
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アシュラム生活◇44話手紙を書くことへの障害(4

次の日には朗読を再開し、三日で読み終えました。再度事務所から呼び出しがあり、チンナスワミ(アシュラム管理人)からそれ以上手紙を書くのをやめ、今まで書いたもの全て引き渡すよう、強く指示されました。
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私はひどく動揺して悲しくなりました。図書室の鍵も渡すよう命令されたときは、それはあまり惜しまず引き渡しました。
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それを聞いて、バガヴァーンは言われました。「そうかね?気にすることはない、そうさせなさい。」
図書室の仕事をやめることには、さほど心残りはありません。それでも、手紙を全て手放すのは本当に辛いことでした。

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アシュラム当局が数年前にシュリ・ヴェンカタラーマヤの日記を没収したと聞いていたので、用心のために第二部としてまとめた手紙の原本は一週間前に兄がマドラスヘ持ち帰っていました。そして、手元には複写した原稿だけを置いていました。
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アシュラム生活◇43話 手紙を書くことへの障害(3

そして三日目、アシュラム事務所から呼び出されました。「これで終わりにしなさい」とチンナスワミに言われました。私は手紙朗読の事をを言っているのだと思い、続きを楽しみに来た人たちがいましたが、翌日は手紙を読みませんでした。

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バガヴァーン「どうして読まないのか?」

私「チンナスワミがやめるよう言ったからです」

バガヴァーンは、そばにいたラジャゴーパラ・アイヤールに言われました

「我々が誰かに読むよう頼み、彼らはそれをやめるよう頼むとは不思議だ。それは、誰にも読書を頼まない方が良いということだ」

ラジャゴーパラ・アイヤールが事務所へ行って話すと、チンナスワミは読書ではなく手紙を書くのを禁じたのだと説明しました。

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アシュラム生活◇42話 手紙を書くことへの障害(2

その頃、アシュラム住人の中で妬みや嫉妬が膨れ上がっていることなど、私が知る由もありません。

それよりも、バガヴァーンの前で本を読みたくて仕方が無かったのです。

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アシュラム管理人(チンナスワミ)はホールでの朗読を何とか認めてくれ、バガヴァーンも同意されました。

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私は三日間で本の半分を読み終えました。バガヴァーンは非常に興味をもって聞かれ、その手紙の話題に関連することをいくつか話してくださいました。

ほとんどの人はそれを評価していたのですが、嫉妬に満ちた人たちは快く思わず、辞めさせるようチンナスワミに圧力をかけました。

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アシュラム生活◇41話 手紙を書くことへの障害(1

「ラマナアシュラムからの手紙」の印刷は誕生祭には間に合いませんでした。

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その後、1947年7月に所用でマドラスへ行き、四日間滞在しました。帰り際、兄は本の印刷が12冊出来上がっているので、それをアシュラムへ持ち帰るようにと言いました。

残りは、印刷会社から後日直接アシュラムへ送られるとのことでした。

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本が届くと、いつもならバガヴァーンはそれをすぐに読み上げさせます。私の本も同じ扱いを受けると思っていたのですが、バガヴァーンは何も言われませんでした。

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私は彼の前でそれを読み上げたくて仕方ありませんでした。その希望を伝えたのですが、「印刷が全て仕上がってから、見ることにしよう」と言われただけでした。

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私はチンナスワミ(総管理人)にも1、2度その件で話しましたが、何かと理由をつけてはそれを先延ばしにされました。

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こうして二週間が過ぎました。やがて、出版社から印刷本が一千部届きました。新聞上での評判は上々で、早くもあちこちから注文依頼が殺到していました。

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アシュラム生活◇40話 興味深い発展(7

このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。

Ramanasramam発行 翻訳amrita

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翌日、私がアシュラムに行くと、バガヴァーンは言われました「聞きなさい!彼ら自身でヴィチャーラ・マニマラ全てを書き写してから何処かに送るそうだ。」

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私は怒りを抑えることができませんでした。「どんな人がバガヴァーンが書いたものを修正するというのでしょう?まるで古代の賢者ですね」

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私は10分程待ってから立ち上がり、私が事務所へ行ってもいいかどうかバガヴァーンに尋ねました「そうか、いいだろう」とバガヴァーンは言われました。

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私は事務所へ行きました「バガヴァーンはテルグ語のヴィチャーラ・マニマラが出版社へ送られる前に提出するよう希望されています。彼はそれを見たがっているのです。」

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私は怒りをあらわにしていましたが、構いません。そう言って、私はホールに戻りました。

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叫び声はバガヴァーンに聞こえる範囲内だったので、私はただ、こう言いました「無駄です。今度はバガヴァーンが特別に対処されるべきです。」

その後、師の恩寵のおかげでヴィチャーラ・マニマラは何の修正もなく印刷されました。真実はいつも成功にいたるのです。

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アシュラム生活◇39話 興味深い発展(6

(6 興味深い発展

1947年7月、沈黙の行者(シュリニヴァサ・ラオ)が、バガヴァーンがタミール語で書いている※「真我についての五つの頌」をテルグ語でも書いてもらうよう、要請してはどうか、とラジャゴーパラ・アイヤールと私に勧めました。

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バガヴァーンは言われました「私は学者なのか?あなた自身が書いてはどうか?なぜ、私に書くよう頼んでおいて、後で間違いがあるというのだろう。」そう言いつつもテルグ語でも書かれました。

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今回、私は無関心でいました。バガヴァーンはすべてを鉛筆で書くと、それを書き写すよう、私に渡されました。

原稿を持って事務所へ行くと、スタッフの一人が私から原稿を取り上げました。私は即座にそれをバガヴァーンに報告しました。

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彼は近くにいた人たちに語られました「なんと言うことだ?私の筆跡をよく知っているナガンマなら正確に書き写せると思って渡したのに、どんな修正が加えらかわかったものじゃない。」この件に関して私は静かにしていました。

※ヴィチャーラ・マニマラ:真我についての五つの頌、「ラマナ・マハルシの言葉」219ページご参照ください。

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アシュラム生活◇38話 興味深い発展(5

このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。

Ramanasramam発行 翻訳amrita

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1947年1月雑誌ティアーギに神話についての書評が掲載され、最後の方に三つの詩がありました。

私はその意味を理解したくなり、同じものをテルグ語で書いてくれるよう、バガヴァーンに請いました。

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バガヴァーンは最初、気が進まない様子でこう言われました

「翻訳や文法に間違いがあれば修正すべきと言う人がいるだろう。どうして私が書く必要があるのか?」リシ(賢者)の書いたものは手直しすべきではないので、私はいかなる修正も認めないと言って師を説得しました。

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私は、テルグの知人にそれを見せました。すると、彼らは韻文の法則に従うには、少し修正が必要だといいましたが、私は同意しませんでした。

その代りに、高名な詩人のV.S.シャストリにその詩を送りました。

彼は断言しました。

「リシの言葉はヴェーダそのものです。変更したり、修正すべきではありません。韻文の法則を変えるか、新しい形式を組み直すべきです

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私はその手紙を知人に見せはしたのですが、彼らは満足せず、バガヴァーンの所へ行き

「伝統的な形式ではないので、修正が必要です」と言いました。

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バガヴァーンは「そうか、好きなようにしなさい」と言われました。

私が夕方にそこへ行くと、師は言われました「お聞き、あなたはテルグ語で書くよう、頼み、今度この人たちは、修正が必要だと言う。だから、私は書くのを断るのだ。」私はとても動揺しました。

どうすれば良いのかと尋ねました。

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私を試すかのように、バガヴァーンは言われました。「修正が加えられたからと言って、あなたに何の問題があるのですか?」

「私はそれに同意できないのです。私には支えてくれる人が誰もいません。ですから、バガヴァーンが私の願いを聞いて、修正されないよう配慮されるべきです。」

バガヴァーンは沈黙されたままでした。

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バガヴァーンは、その原稿をそこにいた人たちに渡してこう言われました「彼らは修正が必要だと思い、原稿を出版社へ送った。ナーガンマはそれを修正すべきではない、と言う。好きなようにしなさい。決めるのはあなたたちだ。」

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彼らは原本を見て、バガヴァーンの書いたものを変更すべきではない、と全員一致で決定し原稿を出版社へ送りなおしました。

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結局、私の願いとバガヴァーンの恩寵により、それは修正されることなく、印刷されました。

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アシュラム生活◇37話 興味深い発展(4

このページでは、ラマナアシュラムに定住していた女性スリ・ナガンマの著書「アシュラムでの生活」を一部翻訳して紹介しています。

Ramanasramam発行 翻訳amrita


同じころ、アンドラ・プラデーシュ州から若い女性がやってきて、しばらくここに滞在しました。彼女は美しい声で、自作の詩だと言って歌いました。

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バガヴァーンはラーマがラマナに置き換えられていることを聞き逃しませんでした。私も気づいたのですが、彼女が深い帰依で歌っていたので黙っていました。
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バガヴァーンは何も言わず、そこに居合わせたムナガラ・ヴェンカタラミアへそれを手渡されたので、彼は書き写す作業を完成することに同意しました。

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彼はいくつかの言葉の意味をバガヴァーンに尋ねていたところ、付添人の一人が、バガヴァーンを煩わせるよりもナーガンマの助けをかりればいいのでは、と提案しました。
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私は引き受けましたが、それは本当にバガヴァーンについて書かれたのかどうかと聞きました。
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実は、その祈りの歌は、あの女性ではなくずい分前に別の人がが書いたものだと私は言いました。直ぐにバガヴァーンのところに行って、経緯を話しました。
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バガヴァーンは微笑みながら言われました「おー!そうかね?私はその歌の言葉とそれに隠された偉大な思想に気づいたとき、ある古代の学者が作ったものに違いないと思ったのだ。だから、彼女はラーマの名が出てくる度にラマナに置き換えていただけなのだ。
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結局、どちらの言葉も意味は同じなのだ。韻律も踏んでいる。では、どうする?あなたは翻訳を続けますか?」
とバガヴァーンは尋ねられました。皆は黙っていました。
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「人々は、ここへ来ると何かを書いたり、歌いたくなったりする。ラーマとラマナという言葉は一つであり、同じなのだ。」
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amrita

Author:amrita
南インド聖山アルナーチャラ。麓には賢者ラマナ・マハリシのアシュラムがあります。

全ての生き物が区別されず、自由に賢者と会うことができました。アシュラムに定住する人もいれば、時折訪れるだけの人、手紙を書く人もいました。
聖者の広間に座り、賢者と来訪者の会話を聞くことができました。座っているだけで心安らぎ、満たされることもあります。

このサイトは、アシュラムへ通じ、広間の光景が再現されています。

サイト管理者は、ラマナアシュラム発行の本を20年弱翻訳してきました。
その翻訳を通じてラマナ・マハリシと交流を続けています。

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