ラマナアシュラムへの扉 アシュラム生活◇6話 若い頃(6

アシュラム生活◇6話 若い頃(6

アシュラムでの生活著書の紹介


詩を書き始めた頃、私は高名な詩人のV.シバラーマ・シャストリに助言を求めました。


彼は私が執筆を始めたことをとても喜んでこう言いました。「詩を書くことは、献身的な生活を送る上で大きな助けとなるでしょう。書くときは、信仰深くありなさい、その感覚で書いた10の詩の内、1つでもよい作品ができれば、上出来でしょう。ただし、出版を急いではなりません」
私はその助言を深く受け止め、当時は書いた作品を公表しませんでした。
 


私はヴェーダーンタ(教典)に関する本を何冊も読みましたが、指導者(グル)の恩寵がなかったので心の安らぎを得ることはできませんでした。
その後、神への瞑想(ウパーサナ)の道を採用して多くの時間を祈りに費やしました。


心が調和した時には、「クリシュナの歌(バラクリシュナ・ギータヴァリ)」というタイトルで詩を書きました。


昼間は家事仕事、夜は神を想うことで日々過ごしていました。こうして、詩を書くこと、霊的修練、そして以前見た覚者の姿のことさえ、兄たちには内緒にしていました。


アムリタのクリシュナ


兄は、私が希望すればどんな本でも愛情をもって与えてくれました。手にした本は全て読みました。にもかかわらず、どんなに本を読もうと、自分なりに修練(サーダナ)をしようと、心の安らぎを得ることはできませんでした。
 


経典(シタラマンアネヤム)に書かれている講和を読み、その教えを実践しようとしましたが、無駄でした。
何の恩恵も感じることができません。時には、蓮華坐(パドマアーサナ)で座り、心をコントロールしようとしました。それも効果なしです。


S.U.ラクシュミバヤマに招待されて、彼女のアシュラムに滞在したことがあります。兄が、そのアシュラムは霊的修練には向いていないと言って、滞在を勧めなかったにもかかわらず、人類への奉仕は神への奉仕であると信じ、私は多くの病人に奉仕しました。
それでも、心から安らぐことはありませんでした。精神的に満たされず、言いようのない苦しみがいつも私を悩ませていました。
時が経つにつれ、その不満はますます強くなり、私は何とかして家庭を離れようと思いました。


そしてどこかの聖地に住ませてくれるよう兄にお願いしてみましたが、「一人でどこにいけるのか?」と言って、とりあってはもらえませんでした。


兄のD・S・シャストリが南部にいた頃、一緒にカニャクマリなどの聖地を訪れたことがあります。私は家から離れて、そんな聖地に住みたいと思っていたのです。

関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitleプロフィールsidetitle

amrita

Author:amrita
南インド聖山アルナーチャラ。麓には賢者ラマナ・マハリシのアシュラムがあります。

全ての生き物が区別されず、自由に賢者と会うことができました。アシュラムに定住する人もいれば、時折訪れるだけの人、手紙を書く人もいました。
聖者の広間に座り、賢者と来訪者の会話を聞くことができました。座っているだけで心安らぎ、満たされることもあります。

このサイトは、アシュラムへ通じ、広間の光景が再現されています。

サイト管理者は、ラマナアシュラム発行の本を20年弱翻訳してきました。
その翻訳を通じてラマナ・マハリシと交流を続けています。

sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitle検索フォームsidetitle
sidetitleリンクsidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleQRコードsidetitle
QR