ラマナアシュラムへの扉 アシュラム生活◇7話 若い頃(7

アシュラム生活◇7話 若い頃(7

「アシュラムでの生活」著書について紹介


ビジャヤワダにいた頃、アルナーチャラに偉大な賢者がいることを何度か耳にしましたが、すぐにそこへ向かおうという気になりませんでした。


その後、10年近くも、心に不満を抱いたまま時が過ぎたのです。
うつ状態は次第に深刻さをまし、体調を崩して、ついに起き上がることができなくなりました。いくつもの薬を試しましたが、効果はありませんでした。


親しい知人であり、主治医である人たちが定期的に診察し、経過を注意深く観察した結果、判断を下しました。
私の病気の原因は精神面からきているので、身体を治療しても効果はなく、精神状態を改善する必要がある、ということでした。


それに、私自身が回復する努力をすべきで、他の誰も手助けはできないのだと付け加えました。


それを神からの言葉として受け留め、何とかして家を出て独りで生きようと決意したのです。


聖山アルナーチャラ


それは1940年初めのことでした。その年の5月、私は自然療法を始めました。湯船に浸かること、そして食事を変え、塩、香辛料、冷たいものを避け、アズキモロコシの粉と野菜で調理したものを食べました。
そんな生活を口実にして、私は兄の了解を得て故郷の村へ移り住みました。
 


クリシュナ川とインドの川


日々の生活は大自然が基本でした。自然療法と言われる入浴、運河クリシュナ川での沐浴、サットヴィック(清浄)な食事、村の寺院で行うプージャ(祈祷)、そして午後には、私の家に集う人たちに聖典バガヴァータムを読み、解説をしました。

こうして村で暮らしていると、ある日インドゥマティから夫婦で巡礼に行くという知らせがありました。


そして、私も同行してはどうかと勧めてくれました。誘いに応じて、巡礼を共にしたものの、少しも心安らぐことはありませんでした。

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amrita

Author:amrita
南インド聖山アルナーチャラ。麓には賢者ラマナ・マハリシのアシュラムがあります。

全ての生き物が区別されず、自由に賢者と会うことができました。アシュラムに定住する人もいれば、時折訪れるだけの人、手紙を書く人もいました。
聖者の広間に座り、賢者と来訪者の会話を聞くことができました。座っているだけで心安らぎ、満たされることもあります。

このサイトは、アシュラムへ通じ、広間の光景が再現されています。

サイト管理者は、ラマナアシュラム発行の本を20年弱翻訳してきました。
その翻訳を通じてラマナ・マハリシと交流を続けています。

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